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かりあげとからあげ 
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 文房具屋の角を曲がると、赤と青と白がくるくる回る、ねじりん棒が見える。
 ぼくが住む町には、床屋さんが二軒ある。バーバー・カワセのほうがぼくの家から
近いけど、ぼくはいつも自転車をこいで、めじり理髪店に行く。だって、めじりには、
いずみちゃんがいるから。
 店の脇に自転車を停め、チェーンでロックして、カーテンのすき間から店の中を覗
くと、三つある椅子のなかで、いちばん窓際の椅子だけ背もたれが倒れて、白いタオ
ルで顔を隠した人が寝てる。店の奥からオヤジが出て来て、ご臨終みたいに寝てる人
に向かって、笑いながら、なんかしゃべった。いずみちゃんは両脚の膝小僧をぴった
りくっつけて、ソファーに腰を降ろして、雑誌を見てる。いずみちゃんのすねは白く
て、ぴかぴかに光ってる。
 ぼくはドアを開け、中に入った。からん、からん――鈴が鳴る。
「いらっしゃいませぇ」
 オヤジの声を左の耳で聞いて、ぼくは右側のソファーを見る。いずみちゃんが顔を
上げてぼくの顔を見て、口の端を横に伸ばして、真っ白な歯を見せて笑った。ニッと
いう声が聴こえてきそうな、いずみちゃんのその笑い方に、ぼくはちょっと引いた。
 いずみちゃんが膝の上に開いてた雑誌のページに、女の人が笑ってる写真が載って
る。それでぼくは納得した。いずみちゃんは女優さんの笑い方を研究してたのだ。
「いらっしゃいっ!」
 元気な声であいさつして、いずみちゃんが立ち上がり、歩きながら右腕をまっすぐ
伸ばす。「どうぞぉ」いちばん奥の椅子を差した。いずみちゃんが立ち上がるとき、
いずみちゃんの隣でまるくなってた猫のトラが、首を起こして、まぶしそうな目でぼ
くを見て、あくびした。口を大きく開けて長い舌を伸ばして、トラがあくびするのを
見ると、ぼくはいつも、トラの口の中に指を突っ込みたくなる。
 いずみちゃんに促されて、いちばん奥の椅子にぼくは座った。床屋さんの椅子に座
るとき、ぼくはいつもおかあさんに抱っこされる感じがして、ちょっと恥ずかしい。
ご臨終の人とぼくの間に、椅子が一つ空いてる。
「いつもと一緒だね?」
 ぼくの首に白い紙を巻いて、マントみたいなつるつるの布でぼくの体を隠して、首
の後ろで紐を結びながら、いずみちゃんがぼくに訊く。鏡に映った自分の顔を見ると、
ぼくはいつも緊張する。首に巻いた白い紙がくすぐったい。
 大きな鏡の上に、髪型と顔がちょっとヘンな男の人の写真が、八枚ぐらい貼られて
る。鏡の前のテーブルに、小さいカゴみたいなやつがあって、その中にムースの缶や
リキッドの瓶が並んでる。頭の後ろからテレビの音が聴こえてきて、シャキシャキと
きっぷのいいハサミの音も聴こえてきて、だんだん緊張が抜ける。いい気分で、なん
だか眠くなってくる。鏡の中のいずみちゃんは、真剣な顔で、ぼくの髪をじっと見な
がら、ハサミを動かす。いずみちゃんの真剣な顔が、ぼくは好きだ。
 かつっ、かつっ――何かと何かがぶつかり合う音がする。テレビの音じゃない。シ
ョーケースの上にあるカゴの中で、リスのララが暴れているのだ。
「こないだコウちゃんが来てね」ぼくの右耳の裏にハサミを当てながら、いずみちゃ
んがしゃべり始めた。「タカちゃんは最近、付き合いが悪いって言ってたよ」


 光一郎と同じ組になってから、四年目だ。小学校の四年から六年まで、ぼくたちの
学年は組替えがなく、中学に上がってからも、光一郎とぼくは同じ組になった。
 ぼくたちは学校から帰る途中、下山精肉店とスーパーエンドーの前を通り、毎日の
ように買い食いしてた。下山の前をぼくたちが通りかかると、いつも揚げたてのハム
フライが店の奥から出てきて、ショーケースの中に並ぶと、通りまでいい匂いがする。
揚げたてのハムフライは、黄金色のコロモがてかてか光り、コロモの粒の間を油がた
らーっと流れる。ぼくは揚げたてのハムフライや肉団子を食べるけど、光一郎はいつ
も鳥手羽のから揚げばかり食べていた。
 光一郎は釣りが好きで、新しい竿を買ったあと、金欠になる。下山のハムフライ中
毒にかかったぼくは、学校から帰る途中、下山のハムフライを食べないと、すごく機
嫌が悪い。一人で買い食いするのは恥ずかしいから、光一郎が金欠のとき、ぼくが鳥
手羽をおごるようになった。
 でも、中学に上がってから、何かとお金がかかるようになり、ぼくたちは買い食い
をやめた。小学校までぼくの趣味は、プラモデルを作ることだった。でも、中学に上
がって、自転車を作り始めた。フレーム、ギア、タイヤ、ペダル、ハンドル……一つ
ずつ部品を買って、自分で組み立ててる。いまはまだおかあさんが使ってた自転車に
乗ってるけど、ぼくの自転車が完成したら、東京まで自転車で旅をしたい。


「最近ね、回文に凝ってるんだ」
 いずみちゃんから光一郎の話が出て、いろんなことを考えたら、誰にも言わなかっ
た秘密をいずみちゃんにしゃべってしまった。
「かいぶん?」
「うん。上から読んでも下から読んでも、同じ読み方になる文」
「ああ、わかった。トマト、とか、しんぶんし、とか?」
 鏡の中のいずみちゃんは、しゃべりながら、ぼくの右と左の髪の長さを、見較べる。
「トマトもしんぶんしも単語だよ。単語じゃ文にならないよ」
「え、だめなの? じゃ、どんなの?」
「えっとね」ぼくは頭の中の引き出しを開け、自分で考えた回文の自信作を探し、見
つかった。「夜勤で働く倉田は電気屋」
「え????」いずみちゃんは首をかしげて、頭の上に?を四つぐらい浮かべたよう
な顔で、ぼくの目をじっと見る。なんだか、顔がタヌキに似てる。
「ちょっと待ってね」と言っていずみちゃんは、店の奥に引っ込んだ。戻って来たい
ずみちゃんは左手にメモ帳、右手にボールペンを持って「なんだっけ? もう一度言
って」とぼくに言った。
「やきんで、はたらく、くらたは、でんきや」
 自信たっぷりに、ぼくは答えた。いずみちゃんがちゃんと聴き取れるように、はき
はきと、ゆっくり、声を出した。音を区切るたびに首を縦に振る自分が、なんだか英
語の先生みたいで、ちょっといやな感じがする。
 いずみちゃんはボールペンでメモ帳に字を書いて、声を出しながら回文を読んだ。
「ほんとだ、すごおい」
 感心したように、いずみちゃんは声を上げた。オヤジがこっちを見て、さっきまで
ご臨終だった人もこっちを見た。目が細くて体も細いおじさんで、髪が薄い。なんで
床屋に来るんだろうって不思議に思うくらい、髪が薄い。
「タカちゃんて、頭いいんだね」
 いずみちゃんから褒められて、ぼくは嬉しくなった。
「じゃ、これは?」有頂天で、ぼくは続けた。ぼくの頭の引き出しには、もう一つ回
文の自信作があった。いずみちゃんについて何も知らないぼくは、その秘密兵器を出
してしまった。やめておけばよかったと、後で思う。
「ズラいずみ毛抜き、なんだかダンナ気抜け、水入らず」
 お風呂に入ってるとき、いずみちゃんのことを考えて、ふと思いついた回文だった。
この回文を思いついたとき、カツラをかぶりながら毛を抜くいずみちゃんと、それを
見て拍子抜けしたダンナさんの顔を想像して、可笑しくなった。
「ずらいずみ……」声を出しながら、いずみちゃんはメモ帳にボールペンで字を書い
た。「ほんとだ、すごおい」
 また感心したように声を出して、いずみちゃんはハハッと笑った。「ずらいずみ、
みずいらずぅ」「なんだかだんなぁ」笑いながら声を出す、鏡の中のいずみちゃんを
見て、ぼくはまた嬉しくなった。楽しそうに笑ういずみちゃんを見て、揚げたてのハ
ムフライみたいに、幸福がぼくの胸で弾けて広がった。でもすぐに、光一郎の好きな
鳥手羽みたいに、冷めた。
 いずみちゃんの動きが止まった。
 メモ帳をじっと見つめたまま、いずみちゃんが動かない。口の周りは笑ってるのに、
いずみちゃんの目が笑ってない。蝋人形みたいに無表情で、ぼくも止まった。
 いずみ、いずみ、と、動かないいずみちゃんにオヤジが声をかけた。やっと動き出
したいずみちゃんは、もの凄い目で、オヤジを睨んだ。ぞっとするような、怖い目だ
った。


 しばらく経って、いずみちゃんの顔が元に戻った。
「自転車、作ってる?」
「う、うん。まだ、ブレーキがない。あと、サドルも」
 いずみちゃんの表情と、会話は戻ったけど、ぼくの自慢の回文の話題は、消えてし
まった。がっかりだ。なんだかぼくは、もう帰りたくなった。でも、いずみちゃんに
髪を洗ってもらってるうちに、なんだかすっきりした。ぼくは考えごとをしてると、
「なんだか」って言葉を使う癖がある。ぼくは「なんだか星人」かもしれない。
 ぼくの髪を洗ったあと、いずみちゃんはぼくが座る椅子の背もたれを倒し、あお向
けに寝たぼくの顔に、熱い蒸しタオルをのせた。小学校までは、蒸しタオルを冷まし
てから、顔にのせてくれた。熱い蒸しタオルを顔にのせてもらうと、ぼくも大人にな
ったんだなって、自覚する。
 蒸しタオルの下で、何かまずいこと言っちゃったかな、とぼくは考えた。やっぱり、
ズラという言葉がまずかったんだろうか。ひょっとしたらいずみちゃんはハゲで、カ
ツラで隠してるのかもしれない。言わなきゃよかった、回文の秘密兵器は隠しとけば
よかった、そんなこと考えて、いずみちゃんがぼくの顔にタオルをのせてから、なか
なか戻って来ないことに気づいた。
 時間の感覚は、速く感じたり遅く感じたりするから、本当はいつもと変わらないか
もしれない。いずみちゃんのあの怖い目を見て、いまのぼくは気が動転してるから、
時間の感覚が狂ってるかもしれない。でも、いずみちゃんの戻りが、なんだか遅すぎ
るような気がする。新しいお客さんが来たわけでもない。なんだかいやな予感がする。
いずみ、いずみ、と、オヤジの声がまた聴こえた。
 ぼくは手でタオルをつかんで顔からはずし、頭を動かして、おそるおそる後ろを見
た。
 見てはいけないものを見てしまった。いずみちゃんはまた、蝋人形みたいに無表情
で、まばたきもせず、顔剃りに使う刃物を、じっと見てた。
「いずみぃ!」
 オヤジがまた、前よりちょっと大きな声で、いずみちゃんの名前を呼び、いずみち
ゃんはまたもの凄く怖い目で、オヤジを睨んだ。
 三秒ぐらいオヤジを睨んだあと、いずみちゃんはぼくの顔を見て、また女優さんみ
たいに横に大きく口を伸ばして、白い歯を見せてニッと笑った。なんだか、きんたま
が縮む感じがする。
 ぼくはまたあお向けに寝て、目を閉じた。今日はいずみちゃんの顔を見ると怖くな
るので、目を閉じていようと思った。
 いずみちゃんが来た。いずみちゃんの匂いがする。頭の脇に、いずみちゃんが立っ
てる。いつもはここで、口の周りや眉毛の周りや、頬にクリームを塗る。でも、いず
みちゃんは何もしないで、ぼくの頭の横でじっと立ってる。ああ……いやな予感がす
る。
 ヘンだと思って、おそるおそる目を開けた。
 きんたまが、体の中に引っ込んだ。目の前に刃物があった。
 刃物からいずみちゃんの顔に視線を移すと、鳥肌が立って、顎とお尻に力が入った。
お尻の穴がすぼんで、体が椅子から浮き上がる感じがする。いずみちゃんは、オヤジ
を睨んだときみたいに、もの凄く怖い目で、まばたきもせず、ぼくを睨んでる。
 ぼくは目の前の刃物と、いずみちゃんの目を、交互に見た。
 笑おうとしても、顔がこわばってうまく笑えない。どうしたの? って、いずみち
ゃんに声をかけようと思うけど、声が出ない。ど、ど、ど、って、声に出さないけど、
心の中でどもってしまう。
 いずみちゃんの顔が近づいてくる。こ、怖い。耳をかじられそうな気がする。ひっ
と音を立てて、ぼくは息を吸い込んだ。
「ずらいずみって、面白いね」
 ああ……内臓が全部、下のほうに落ちていく。ぼくの目の前で刃物をちらつかせな
がら、ぞっとするような低い声で、その女はささやいた。ぼくは泣きたくなった。た
ぶんヘンな顔してるのに、女はまばたきもせず、ぼくの目玉をじっと見てる。いやだ、
そんな目で見るな。
 ちょっとだけ、おしっこを洩らした。もうだめだ。ぼくは観念した。何がだめなの
かわかんないけど、とにかくもうだめだ。血まみれだ。オダブツだ。短い人生だった。
ああ……こんなことになるんだったら、自転車なんか作らないで、ハムフライ食べと
けばよかった。うう……死ぬ前にもう一回、ハムフライ食べたい。ああ、もういやだ。
 歯を食いしばりながら目を閉じたら、まぶたの裏に、骨が浮かんだ。光一郎が食べ
たあとの、鳥手羽の骨だ。
 その骨には、茶色くなった血が、こびりついていた。

(了)


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Text written by 火鳥冬星
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