作:火鳥冬星
二
ミズ商売の女はミスかミセスか定かでない。ビズネスの中でも水商売ほど話が流れやす
いものはない。突っ張ることが男の勲章なら引っ張ることが女の冥利(か、客引き上手は口
が達者で、酒を飲ませてミズの流れに引っ張り込む。飲ませ上手と読ませ上手はどこか通
じるところがあるか、人をつかまえて嘘か真(かわからない世界に引っ張って行く。
私はあまり酒を飲めないし、初対面の女性と話をするのも苦手である。女性がお酌をし
てくれる店に入ったのは、十年ぶりぐらいである。キャバクラについては、テレビや雑誌
から得た情報しかなかった。店で働く女の子も客もばかにしていた。
実際に行ってみると、ハマる客の気持ちもわかる。店長の高橋や晴夏と知り合いだった
という特殊な事情もあるが、意外に話が弾んだ。店で働く女の子を口説きたいという気に
もなる。「キャバクラ嬢」という肩書きがその気にさせるのか、アユミという女がその気
にさせるのか、そこのところはよくわからない。ただ、スケベ心が疼(くのは確かである。
――女は突っ込めませんから。
それなら私が突っ込みますので、二人きりでネタ合わせをしましょうと言いたくなる。
ここで言う「ネタ合わせ」とは、もちろん性交のことである。男と女が持ちネタを出して
見せ合って、いじり合えば自(ずとネタが膨らんでくる。
まともな女はそう簡単にネタを出さない。二人きりになっても、すぐにネタ合わせとい
うわけにはいかない。ムードが出来上がらないとヌードにならない。ムードを作るために
男は女にフードを食わせる。旨(い料理も甘い言葉も奮発(する。それでOK(というわけでも
なく、女心はNO(にもOKにも傾くNOK(状態である。Kに気が向けばキッスに向かって
アフターディナーと行きたいが、北半球では磁石の針と女心はNを向くのが自然である。
そのNがNothing(なら、縦を横にしてもZero(のZで、何をかけてもゼロはゼロ。Next(を含
んでいれば言葉や金や時間をかけて、口説き落とそうかという気になる。
たやすく落ちたら稼ぎにならないのがミズネスである。酒は飲ませても体は揉ませない
のが酌婦(で、飲むよりも揉みたい客はよその店へどうぞとあしらう。もとより私は飲みた
いわけでも揉みたいわけでもなかったが、キャバクラの酒は惚れ薬である。同伴→アフタ
ー→店外デートと、夢と股間が膨らんで、裸の付き合いを想像するが、フールな頭がクー
ルに戻ると、どこか化(かされているような気がしてくる。薬の楽が古くなったら苦に化け
る。萌(えた情念も酔いが醒めれば萎(えてくる。アユミとのネタ合わせはないと思った。
●
翌日、出社すると小林(がいた。コピー機の前にしゃがんで、トレーに用紙を補充してい
る。私が「おはよう」と声をかけると「おお」と言う。
デスクに鞄(を置いてロッカーに行き、ハンガーにコートをかけて、小林が淹(れたコーヒ
ーをカップに注いでデスクに戻り、ノートPCを開いて電源を入れた。そこへ小林が寄っ
て来て、「どうだった?」と訊いてくる。
「うん。行って来たよ」
私は答えてあくびをした。
「だから、どうなんだよ」
小林はちょっと怒ったように声を荒げて話を促(す。
「うーん、あんなもんじゃねぇの?」
私が素(っ気(なく答えると、小林が「あんなもんて、どんなもんだよ」と突っ込んでくる。
「ホリエモン」と私がボケると「アホか」と小林が言う。「羅生門(」と私がさらにボケる
と、小林は私に尻を向けて「見て肛門」とボケ返した。「おお、レイザーラモン」と私が
返すと、小林は振られたネタに乗って「お尻フォー!」と叫んで真顔に戻り、「朝っぱら
から何やらせんだよ」と怒ったように言う。
そんな私と小林のやり取りは、ほかの社員の前では出来ない。
●
小林光宏(は仙台支社の支社長である。我が社の大手クライアントの会長の次男である。
立場上は私の上司だが、私と同い年で付き合いも古い。
私と小林は二十年近く前、東京の雑誌編集プロダクションで一緒に働いていた。その頃
は私がチーフで、小林は私の部下だった。そのプロダクションが倒産し、私は東京に残っ
て出版社に就職したが、小林は仙台に戻って広告会社に就職した。三年後に私も仙台に戻
ることになった。
プロダクションの倒産が、私と小林の人生コースの分岐点だったかも知れない。小林は
エリート・コースに乗り、私はデリート・コースに乗ったような感がある。デリート・コ
ースというのはデート・コースとはまったく違い、会社の社員名簿からいつ削除(されるか
わからないコースである。仙台に戻ってから私も広告制作会社に就職したが、三年で辞め、
建築工事現場や工場、運送会社の現場作業など、職を転々とすることになった。マネーに
は嫌われるのにオネェに好かれて困ることもあった。オネェというのは年増(のオカマのこ
とである。オカネが離れてオカマが寄って来るのだから困る。寄って来るオカマがオカメ
顔だからなおさら困る。オカメ顔のオカマがワカメの味噌汁を作ってあげたいと言うから
さらに困る。これまでの生涯で私が人の顔を殴ったのは、そのオカマだけである――とい
うのも嘘である。
小林のほうは順風満帆である。結婚して子供も三人出来た。
五年前に私は小林と再会し、いまの会社に世話になることになった。
支社長の小林に対して、平社員の私がぞんざいな口の利き方をするのも、友人同士だか
らである。最初は私も他の社員や顧客の手前、小林に敬語を使っていた。そんな私に小林
が「なに畏(まってんだ、ばーか」と言い、タメ口(で話すようになった。
キャバクラで働く晴夏の様子を見て来いと、私に命令したのは小林である。私を応接室
に呼んで、鞄から百万円の束を二つ取り出し、テーブルに置いた。
「こんなに要らないだろ」
目の前に大金を積まれて驚いた私が言うと、「いいから取っとけ」と小林が言う。
「別にキャバクラで使い切れとは言わん。お前に預ける」
二百万円は晴夏への祝儀(かと思ったが、どうやら違うらしい。
「俺に預けてどうすんだよ」
「使い道はお前に任せる」
そんなことを任されても困るが、思い当たることはあった。
「会社の金か?」
「違う。俺のポケットマネーだ」
億単位の資産が小林にあることは知っている。小林にとって二百万円の支出は、私にと
っての二千円程度の出費に過ぎないだろう。とは言え、小林は無駄金を出す男ではない。
何か考えがあるに違いない。ひょっとしたら、この金の使い方しだいで、私の処遇を決め
ようという腹づもりがあるかも知れない。
「金を預けて俺を試す気か?」
私が探りを入れると、「そんなんじゃねぇよ」と小林はあっさり否定した。
「お前には借りがあるからな。その金で少しは遊んだらいい」
そう言われて、小林の腹が読めた。二十年前の事を思い出した。あれをいまだに「借り」
と思っている小林の律儀(さに、どう応えればいいか思案した。そんな昔のことは忘れたと
言っても、いまさらこんな形で返されても困ると言っても、嘘になる。
その「二十年前の事」については、後で述べる。
いずれにしても、小林という男は、金の力で他人に服従を強いる男ではない。菊池寛の
『真珠夫人』に出て来る荘田勝平のような、姦計(を弄(する浅ましい成金野郎ではない。
「とりあえず預かっとく」
私は答えて、札束を懐(に納めた。小林の険しい表情がそれで緩んだ。
●
「で、どうだった?」
晴夏の様子を見て来いと、二百万円を出した小林が訊いてくる。
「レイザーラモンはハードゲイ、ふじいあきらはカード芸」
私が駄洒落まじりの冗談ではぐらかすと、小林は「ああ?」と凄みのある声を出し、借
金の取り立て屋のような険しい顔で睨みつける。
「いや、ふつうに働いてたよ」
晴夏の仕事振りを報告すると、「あ、そう」と小林が言う。
「ゲームやったぞ」
「なんのゲーム?」
「国名―首都卓球」
「なんだそりゃ」
「いや、なんか、そういう流れでさ」
キャバクラに行くと仕事より張り切るもんだな、と言いそうになったがやめた。
「いい子いたか?」
小林から訊かれて、アユミの顔が思い浮かんだ。
「いたよ」と素っ気なく答えると、「なんて子?」と小林が突っ込んでくる。「いや、い
っぱいいた」と私がはぐらかすと、「あっそう」と小林はがっかりしたように声を落とし
た。
「あ、そうそう、そう言えば、あるあるクイズを思いついたぞ」
私は話題を変えた。
「なんだ?」
「延命(にあって蘇生(にない。八位にあって七位にない。暗いにあって明るいにない」
「ちょっと待て。書いてくれよ」
小林から言われて、私はメモ用紙に問題を書き出した。
ある ない
―――――――――――
延命 蘇生
8位 7位
暗い 明るい
集い 寄り合い
あがない つぐない
「あるあるクイズ」は〈ある〉の項目の共通点を当てるクイズである。「蘇生」の「蘇」
の字を書けなくて、「禾」を「采」と書いてごまかしたら、小林が「違うだろ」と言って
脇に字を書いた。小林の「蘇」は「禾」が「木」になっている。怪しいと思ったが、その
場はそれで流した。私は「鬱(」や「薔薇(」や「檸檬(」や「麒麟(」という字なら辞書を見な
いで書けるのだが、「蘇」という字は書き慣れていない。
とりあえず項目を五つ書き出したが、小林は眉間に縦皺(を寄せて首をひねる。
「わかんねぇな。〈ある〉も〈ない〉も『い』で終わってるし」
言われてみればそうだ。私はさらに項目を書き加えていった。一つ加えるごとに間を取
って、小林の顔を見ると、項目を増やすほど険しくなってゆく。
ある ない
―――――――――――――
板 棒
後藤 佐藤
しんどい姉 くるしい兄
アルマーニ ヴェルサーチ
ルーペ レンズ
そこまで書いて、腕組みをして考え込んでいた小林が「わかった!」と言い、「あれだ
ろ。亀有(にあって浅草(にない」と言う。
「そうそう」
「ラインにあって……線にない」
「そうそう。インテリ多品種(にあってセレブ高品質にない」と私が返すと、「インテリ多
品種?」と小林が訊き返し、しばらく考えてから「それって――か?」と正解を確認する。
「そうだよ」と私が答えると、「そうか」と小林は納得したように言う。
そうして話はすっかりずれたが、「まぁ、何もなければいいけどな。また、あの子の様
子を見て来てくれ」と、小林が晴夏のことに話を戻した。
「お前が見て来たら?」と私が言うと、小林は苦笑いしながら「勘弁してくれ」と答える。
「晴夏を指名しないで、アユミちゃんという子を指名したらいい」
私が進言すると、小林は一瞬だけ眉根を寄せてからすぐに緩めて、「なんだ、そうか」
とクイズの答えがわかった時のようにほくそ笑み、「アユミちゃんね」と念を押す。
●
その日の昼過ぎ、携帯電話をチェックすると、アユミからメールが届いていた。昨日は
ありがとうございました、楽しかったです、またのお越しをお待ちしています――といっ
た文面である。営業メールで、それ以上の意味はない。思わせぶりなところがないのが気
に入った。
私は返信することにした。二問目のクイズを出してみた。
「小林克也(、八嶋智人(、柴田英嗣(の三人がテストを受けて、一人だけ満点がいました。さ
て、誰でしょう?」
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Text written by 火鳥冬星
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