フレンチフライ  
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「倉木麻衣 儲かった子 どんな人気女子大生だ 所持金に何度コタツ買うも いま
気楽」

 両膝を曲げて重ねた脚をコタツに入れ、シャープペンシルでメモ帳に書きものをし
ていたいずみが、背後にある戸棚の引き出しから色紙と筆ペンを取り出し、「筆入れ」
を行った。
 体をよじって背後を向いたいずみの腿の上で、背中を丸めて眠っていた猫のトラが、
目を覚まし、背中と手足を伸ばして大きく口を開き、舌を伸ばしてあくびをして、ま
た眠った。
「筆入れ」を終えたいずみは「どうだ」と言って、夫の寛治に色紙を見せた。寛治は
色紙を両手で持ち上げ、筆で書かれた文を読み、卓上のミカンの皮を脇に移して色紙
を卓上に置き、両手の指を折って数を数えながら、声を出して、もう一度読んだ。
「くらきまいもうかったこ……しょじきんに……こたつかうもいまきらく。すげえ。
四十五文字もある。最高記録更新だね」
「はっはっは」と、オペラかミュージカルか歌舞伎の演者のように、芝居がかった声
をいずみは出した。小憎らしい自慢の声だった。いずみの笑い方が憎たらしいので、
寛治はいずみの頭をゲンコツで叩いたことがある。いずみは親指と人差し指で寛治の
耳をつまんで、思いきり引っ張り、仕返しをした。
「でもさあ」
 寛治が眉間にしわを寄せ、色紙をしげしげと見つめた。寛治の反応の変化を見たい
ずみも、固く閉じた口を横に大きく伸ばし、首を右側に傾け、色紙に視線を落とした。
「所持金にっておかしくない? これ、所持金で、じゃない?」
「ああ……」言われてみるとそうだと納得したように、いずみは嘆声を上げ「じゃあ、
倉木麻衣は、電気女子大生になるの?」と寛治に訊いた。
「そうなるね」
「そうかあ」
 自慢げに胸を張って寛治に色紙を見せたいずみは、背中を丸め、大きくため息を吐
いた。まだまだ修行が足りない、といずみは思った。
 猫のトラは手足を伸ばしたまま、歯の間からピンク色の舌先を出し、眠っていた。


 いずみと夫の寛治は、いずみの父親の為五郎が経営する理髪店の、二階にある一間
で寝起きしている。いずみの家に婿養子として入った寛治は、事務機のリース会社に
勤め、平日は毎日、いずみの家から二十キロメートルほど離れた市に、電車で通って
いる。
 めじり理髪店の壁には、カットモデルの顔写真の代わりに、いずみが考案した回文
が筆で書かれた、色紙が貼られている。はじめて見た客は、川柳か何かと勘違いする
が、上から読んでも下から読んでも読み方が同じになる、回文だった。
 いずみは最初、カットモデルの顔写真に、漫画の吹き出しのような図を書き込み、
その中にマジックインキで回文を書き入れてみた。客が座る椅子に腰かけて見ると、
いずみは字を読めたが、いずみの父であり、この店の経営者である為五郎は、字を読
めなかった。為五郎にはただのいたずら書きにしか見えないので、いずみは大きな字
で色紙に回文を書き、写真の代わりに色紙を貼ることにした。
 色紙に筆で回文を清書することを、いずみは「筆入れ」と呼んでいる。

「サッカー勝つさ」
「浦和で笑う」
「力士の仕切り」
「歴史を仕切れ」
「石毛は激しい」
「稲垣 先がない」
「志村 髪から虫」
「仕方ないなタカシ」
「死んでいる遺伝子」
「ニキビ ケツに付け ビキニ」
「タイツ即 脱いだ犬 クソついた」
「デート イタメシで締めたい 遠出」
「トータス松本も妻スタート」
「イメクラ快楽 暗いか落命」
「タイツかむってつい一徹ムカついた」
「ラブラブムードかないません狭い中 ドームぶらぶら」

 壁に並んだ回文の中央に、倉木麻衣が電気女子大生で何度もコタツを買うという、
奇想天外な回文が新たに飾られ、その上に「貯めた回文V固めた」と、ひと際大きな
字で書かれた回文も加えられた。
 いずみの回文は何かを予言することもあった。「稲垣 先がない」が壁に貼られた
直後、人気アイドルグループ・SMAPの稲垣吾郎が芸能活動の自粛を発表した。自
分の予知能力にぞっとしたいずみは「女神 占いなら 海亀」と、新しい回文を考え
出したが、店の壁に貼ることを自粛した。
 女優を志していたいずみはかつて、仕事中に怖い女を演じ、客をビビらせた。電気
屋の倉田さん、金物屋の高橋さん、肉屋の下山さんなど、怖い思いをさせられた人た
ちは、いずみの回文に笑わされることになった。文房具屋の照井さんは顔剃りの最中
に突然笑い出し、右側の眉毛が半分なくなった。いずみに回文を教えた中学生の高志
は、めじり理髪店の壁に回文が増えるたび、悔しい思いをして、「仕方ないなタカシ」
が追加されたとき、高志は固く握り締めた両手の拳を胸の前でぶるぶる震わせ、食い
しばった歯を剥き出し、鼻穴と目を大きく広げ、地団駄を踏みながら、充血した目で
いずみを睨んだ。いずみは勝ち誇ったように、大きく逸らした胸の前で腕を組み、不
敵で憎たらしい笑顔と下目使いで、高志を見た。


 回文でVを固めたいずみは無敵と思われたが、新たな敵が出現した。
 二カ月前、いずみの町にアメリカ合衆国から、サンダース家とマクドナルド家がや
って来た。町の人たちはみな、こんな田舎の小さな町に外国人が来るとは、思っても
みなかった。人口七千人の町の人たちは、用もないのにサンダース家とマクドナルド
家の前を通り、家の人に会うたび愛想よく笑ってあいさつし、握手を求める者もいた。
サンダース家の主人やマクドナルド家の主人を、ローソンやファミリーマートで見か
けるたび、養老乃瀧や居酒屋・一平八平(いっぺいやっぺい)やスナック・夜の蝶に誘
う中年男も多い。
 いずみの新たな敵は、サンダース家の長男・クーネルだった。九歳のクーネルはわ
んぱく坊主で、いたずらが大好きだった。
 めじり理髪店でいずみが客の髪をカットしているとき、クーネルはこっそり店に入
る。めじり理髪店の出入り口には、来客を告げる鈴が付いていて、クーネルは鈴が鳴
らないよう、静かにドアを開ける。
「credit card!」
「うっ……」
 こっそりいずみの背後に近づいたクーネルは、指カンチョー(credit card)をいず
みのお尻にお見舞いする。不意を突かれたいずみは、驚いて絶句し、振り返るとクー
ネルはすでに、店の出入り口まで逃げている。
「こらっ!」
 いずみが怒鳴りながら、手に持ったハサミとクシを振り上げ、クーネルに歩み寄る
と、クーネルはしかめっ面で舌を出して見せ、店の外に出て猛スピードで走って逃げ
て、いずみが外に出る頃にはもう、どこに消えたかわからない。
「はっはっは」と、いずみに髪を切ってもらっていたスポーツ用品店の伊藤さんが、
朗らかに笑い、「いずみちゃん、人気者だねぇ」と、いずみをなだめた。
 いずみは険しい目で、鏡に写った伊藤さんを睨み、怖い女を演じる女優モードに突
入した。


 マクドナルド家の長女・シェリーは、学校から帰る途中でよく、めじり理髪店の窓
ガラスに顔を押し付け、中をじっと見る。為五郎やいずみの背中を見ているわけでは
なく、ショーケースの上のカゴの中にいる、リスのララを見ていた。
 ララは小まめに首を上下左右に動かし、ときどき鼻をヒクヒク動かし、一所懸命、
両手で持ったエサをかじり、一所懸命、車輪を回す。
 窓ガラスに顔と手のひらを押し付けるシェリーは、鼻ペチャになりそうだった。鏡
に写るシェリーのブサイクな顔を見て、いずみは店の外に出て、シェリーに声を掛け
た。
「中に入っていいよ。猫もいるから、おいで」
 いずみに声をかけられたシェリーは、恥ずかしそうな顔で肩をすくめ、もじもじと
恥ずかしがる仕草でいずみの顔を見上げた。七歳のシェリーは、まだ日本語がわから
ない。いずみはしゃがんで、シェリーの腕に右手で触れた。通りかかった三人組の男
子中学生の一人が、しゃがみ込むいずみのパンツを見た。
「あー……カムイン」
 いずみはシェリーにそう言って、左手で店の中を指さした。
「プリィズ・ルック・アット……」いずみはリスを英語で何と言うかわからない。
「……ルック・アット・ララ。ああ……ゼアリズ・ア・キャット・オン・ザ・ソッフ
ァア。プリィズ・カムイン」
 恥ずかしがり屋のシェリーはにっこり笑い、もじもじと肩を左右に振り、首を傾け、
頬を肩に付けた。
 いずみは立ち上がり、シェリーの手を握って、店の中に連れ込んだ。
 店の入り口の前に立てられ、くるくる回る、赤と青と白のねじりん棒に、ハエ(fly)
が止まっていた。

(了)


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Text written by 火鳥冬星
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