
椅子になりたい [Novels Menu]
バカ旦那がまた恋をした。
ウチの旦那は一日中パソコンに向かっている。ソーホーだかモーホーだかわかんな
いけどパソコンで原稿を書いてEメールでどっかに送って、それで月に多いときはだ
いたい三十万くらい銀行に振り込まれる。怪しい商売に手を染めてるんじゃないかと
思ったら、ネズミ講とかそんなのとは違うらしい。
旦那が書いた原稿は活字になってエロ本に載ってて、旦那は一応フリーライターと
かいう肩書きで名刺も持ってるけど、フリーライターなんてフリーターと大して変わ
んないのだ。「ライ」の二文字が付くか付かないかの違いで、アタシとしてはリッチ
なカネづるをライ付き畑でつかまえて欲しいんだけど、アホな旦那は「オレは売文屋
じゃねえ」とかナントカ言ってイキがってる。
十万以上振り込みがある月はまだいいほうで、振り込みがゼロの月もある。知人の
お葬式とか結婚式とか突然の出費があると家計は火の車だ。そんな収入じゃ生活でき
ないし旦那が家にいるとうっとうしいので、アタシが働いて家計を支えている。
はっきり言ってウチの旦那はアタシのヒモだ。「ヒモダカゲキってペンネームに変
えたら?」ってアタシが皮肉を言ったら、バカ旦那は本当に改名した。アタシが冗談
のつもりで何か言うと旦那は本当に実行してしまうから怖い。口ゲンカで「アンタな
んかともう一緒に暮らせないわよ」ってつい口を滑らせたら、旦那は次の日、本当に
役場から離婚届をもらって来てハンコまで押して「短い間だったけど幸せだったよ、
早く新しい男見つけて幸せになれよ」ってボロボロ涙を流して泣きながら言うんで、
引っ込みがつかなくなったアタシは一日だけ実家に帰った。
旦那はよくため息を漏らして、ため息が癖みたいになってるけど、恋をしていると
きのため息はいつもより重い。ただでさえうっとうしい男が重いため息を漏らすとも
のすごくうっとうしくなるので、アタシが旦那の恋愛相談に乗っている。恋多き男と
は間違っても結婚してはいけないと、向こう三軒両隣にも会社でもアタシは言い触ら
している。向こう三軒両隣って言ったって、このアパートの一階に住んでるヨネダさ
んとカナモリさんとタカハシさんぐらいだけど。
オカマのヨネダさんはともかく、カナモリさんとこにはドレッドヘアーで鼻ピアス
の自称MCがしょっちゅう出入りしてお盛んな声を上げてるし、タカハシさんは男に
騙されやすいタイプだ。
ウチのバカ旦那がタカハシさんにもチューしてるとこをアタシは目撃した。旦那の
手がタカハシさんの乳を服の上から触るとこで止めたけど、もしもアタシが止めなか
ったらタカハシさんも、タカハシさんが来る前に住んでたモリヤマさんみたく、アタ
シと会うたびに視線を逸らして急に泣き出して「ごめんなさい」とかなんとか言って
謝って、このアパートから突然いなくなるところだった。
モリヤマさんがいなくなったあと旦那は二週間ぐらいひどく落ち込んで、自殺する
んじゃないかってアタシは本気で心配した。樹海とか冬山とか死体がなかなか見つか
んないとこ行って死んでくれるならいいけど、部屋ん中で死なれたら掃除がしんどそ
うだし、お葬式代とかお墓とかお仏壇とか何かとお金がかかりそうだし、本当に死ん
でくれたらまだいいほうで、未遂に終わったらべらぼうに医療費がかかりそうだから、
困る。ペットみたいな男だけど、死ぬときはまだ猫のほうが潔くてかわいげがある。
旦那の話によると今回は報われぬ恋がぶり返したらしい。
ウチのバカ旦那はよくインターネットに接続してエロサイトばっか見てるけど、顔
にボカシ入れてスッポンポンのナイスバデーを披露しているカズミさんへの恋心が再
燃したそうだ。「おい見ろよ」って旦那が言うからパソコンの画面覗いたらカズミさ
んのバデーはマジで美しい。顔が見えないのになんで惚れるんだってアタシは思った
けど、男は体が良けりゃ顔なんてどうでもいいのかもしれない。カズミさんの場合、
顔も美形みたいな感じがする。
何を隠そう自慢じゃないけど、いや、声を大にして自慢したいけど、アタシも結婚
する前はナイスバデーだったのだ。週に一回はエアロビ行って、ポニーテールと首か
けタオルが抜群に似合ういい女で、嫌味や皮肉をチクチク刺されても心にはいつも「フ
ラッシュダンス」のジェニファー・ビールスが輝いているタフな女で、壁一面のデカ
イ鏡に向くとアタシの後ろには必ずオジサンがやってきて、肩幅より広く足を開いて
前傾姿勢でケツを振って見せたりするとオジサンが、食事なんかご馳走してくれたり
した。
いまじゃパンを作るときにお腹の肉をつまんで、パン生地の練り具合をぜい肉と比
較してチェックできるようになった。旦那が会社を辞めるまで食う寝る遊ぶの極楽生
活だったから、すっかりシェイプダウンしてしまった。お陰でいま勤めてる会社じゃ
一度もセクハラされねえし、電車の中でも痴漢に遭わねえ、畜生。たまには昔みたい
に痴漢の手をつかまえて、駅員や警察に突き出してストレス解消してみたい。
バカ旦那の恋愛相談にはこれまで六回乗ってきたけど、やっぱりモリヤマさんとか
タカハシさんとか二人の共通の知人のときは炎の闘魂が燃え上がる。アタシと付き合
う前に付き合ってた女と寝た話にはまいった。たぶんそのときのアタシの顔はこめか
みに血管が浮き上がって目が血走って鼻穴が思いっきり広がって、すげえブスだった
と思う。このバカ旦那はアタシから女友だちをことごとく遠ざけてきた。女の友情を
男の欲情で台無しにするひどい男だ。アタシは旦那に無抵抗を命じてバックドロップ
と卍固めを練習した。旦那はマゾだ。太腿の裏側やケツを蹴ってやると大喜びする。
アタシと旦那は「不倫型恋愛および情事に関する相互不可侵協定」を締結した。夫
婦いずれか一方の自由恋愛に他方の干渉を禁止する、経済的・精神的には恋愛・情事
より夫婦生活を優先する、夫婦間の性的交渉および実施の期間中には恋愛対象を一切
意識から除外し夫または妻と恋愛対象の比較および恋愛対象の氏名・年齢等の口外を
禁止する、というものだけど簡単に言うと、恋愛したけりゃ勝手にすりゃいいけど夫
婦生活をいちばん大事にして、アタシとセックスする時はほかの女のことを一言も言
うなってことで、アタシはともかく旦那の行動と発言を制限した。
旦那は口だけは達者で、アタシがちょっとウッカリ言葉のアヤでいいかげんなこと
言ったりすると、すぐに逆手に取る。「やっぱり男はアホがいいでしょ? そうでし
ょ? シャランラ〜♪」って、横浜ベイスターズの筆頭株主になったTBSテレビ金
曜夜九時「金曜日のスマたちへ」のジングルを真似しながら、旦那は言ったりする。
テレビの見すぎだ。
「アンタなんか逆手取り男よ!」ってアタシが言ったら「アホのサカテで〜す」とか
言って旦那は、マヌケな顔とマヌケな動きをしてアタシを脱力させて「サカテ・ジュ
ンで〜す、サカテ・チョウサクで〜す、サカテ・ハルオでございます。三人揃ってサ
カテ・トリオで〜す」などと昭和のギャグをオチにする。そのアホなマンパワーを世
のため人のために使って、ゼニを稼げ、ゼニを!
「カズミさ〜ん!」
ああ……バカ男が絶叫してる。独り言をアタシに聞かせるな。
「オレはカズミさんの椅子になりたい!」
アタシはもう、人生に疲れた。
(了)
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Text written by 火鳥冬星
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