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娘たちのデスバレー [Novels Menu]
阿論寺の墓所の一角にテントが出来たのは、山の獣らも冬ごもりに入った十一月
半ばのことである。
「大沢家乃墓」と刻まれた墓石の手前に、木枯らしに吹き飛ばされはしまいかと、
人が見れば心配されるほど頼りなく張られたテントで、一組の母娘が暮らし始めて、
二晩目を迎えた。母親の和歌子は二十五を過ぎたばかり。娘の可奈は五つである。
「ねぇ、ママ。どうしておウチに帰らないの?」
寝袋の中で可奈が訊ねる。桃から生まれた桃子が空手と剣道を習って、永田町と
お台場の鬼を退治する――そんなお話を和歌子が聞かせていた途中である。
「それはねぇ……」
言いかけて和歌子は口ごもる。お婆ちゃんが憎いからよ、とは言えない。夫が亡
くなってから姑のイビリが日増しにひどくなり、和歌子は嫁ぎ先の家を出た。
和歌子を産んだ親は父母とも健在で、戻ろうと思えば生家に戻れる。十日ぐらい
は宿に泊まる金もある。それでも和歌子は野宿に決めた。
もとより野宿をしてみたいという好奇心が、和歌子にあった。姑の嫌がらせが和
歌子に行動を促した形である。
「あのおウチには、鬼がいるから」
そう答えたとき既に、可奈は寝息を漏らしていた。和歌子も安息の境に沈んだ。
人の声で和歌子は目覚めた。時計を見ると二時を回ったばかり。声はしだいに近
づき、数が増える。七人か八人はいる。飲み会を終えたグループだろうか。繁華街
からこんな山奥まで人が来るとは思いも寄らない。聴こえるのは自分と同じ年頃の
若い女の声ばかりで、男の声はなく、車の音もない。
恐る恐るテントの隙間から、和歌子は外を覗き見た。ぞっとして感電したように
身震いし、体が硬直した。目を剥きながら大きく息を吸い込み、慌てて手の平で口
を塞いで、喉元に込み上げた悲鳴を殺す。
こんな深夜に街灯もないのに、寺に続く坂を下りきった辺りで、青白い光芒が広
がり、そこに十人はゆうに超える女たちがいる。みな同じく白いワンピースを着て、
腰まで伸びた黒髪を前に垂らし、顔を覆い隠している。
「やっぱ、お墓のある場所って、和むよねぇ」「そうそう、癒されるって感じ」「井
戸登るの、もぉヤダァ」「テレビから出るのもキツイし」「電気のコードも狭いし」
「こないだテレビん中の配線が足にからまって、なかなか出らんなくてぇ……一回
テレビから出て、また引っ込んじゃった」「ダメじゃん」「あぁ、髪切りたい」「ダ
メだよ。まつ毛ないし」「まつげぇねぇ……なんちゃって」「うっ、小樽産冷凍ギ
ャグ」
女たちの会話は、和歌子にもはっきり聴こえる。まさか……女たちの姿と会話に、
和歌子は自分の目と耳を疑った。井戸を登る? テレビから出る? 映画で見たフ
ィクションだ。あの幽霊が現実に出て来るなんて。これは夢?
「みんないる? 点呼取るよ」
一人が声を張って注意を促し、ほかの女たちが声を揃えて「はーい」と答える。
「アベサダコ」「はいよっ」「イシカワサダコ」「は〜い」「オガワサダコ」「は
い」「カゴサダコ」「あいーん」「カメイサダコ」「はい」「コンノサダコ」「は
い」「タカハシサダコ」「ほい」「タナカサダコ」「はぁい」「ツジサダコ」「ぼ
い〜ん」「ニイガキサダコ」「へ? あ、へぇ」「フジモトサダコ」「はいっ」「ミ
チシゲサダコ」「はい」「ヤグチサダコ」「いまーす」「ヨシザワサダコ」「うぃ
ーす」「オッケー。みんないるね」
みんなサダコ! 和歌子は失神しかけて、持ちこたえた。まさかサダコが本当に
いるとは……しかもこんなにいっぱい。
「ま……」
脇腹の辺りから声が聴こえ、和歌子はまたぞっとして振り返った。可奈が目を覚
ましている。和歌子は、しっ、と口の中で音を鳴らし、人差し指を唇に押し当て、
静かにするよう合図して、娘の体を抱き寄せた。
「今日は何やる?」「バレーボールは?」「いいねいいね」「ボールは?」「木魚
とか。お寺の本堂にあるヤツ」「お、さすが。誰か取って来て」
前髪の隙間から放たれた十四人の視線が、一人に集中する。
「げっ! またあたし?」「わたしも一緒に行ったげる」「おお、偉い」「くぅ……
わかりやした。行きますよ」
二人が寺に向かって歩き出す。
「あれ? こないだソフトボールで使った卒塔婆。ほら、柿の汁と皮、付いてる」
「え? バットの代わりに使ったヤツ?」「あ、ホントだ」「和尚、仕事サボって
んじゃねぇよ」「てゆーか、ちゃんと後片付けしなきゃダメじゃん」「元に戻しと
きまーす」「二人が戻って来るまで、チーム分けしよ」「じゃ、ゲームやりましょ」
「ヘンなオジサンゲーム!」
それを合図に全員が輪になる。
「シムラ!」「イカリヤ!」「タカギブー!」「イシヅカ!」「イジューイン!」
「ワタナベトール!」「え? ワタナベ? あ……」「ミチシゲ、アウト!」「え
ー、ワタナベトールって誰?」「俳優だからイカリヤに戻るんだよ」「えー、俳優
? わかんなかった」「ヤグチさん、ナイスブッコミ」「ほっほっほ。じゃ、あた
しからね。ナカモト!」「シムラ!」「カトーチャ!」
サダコたちのゲームのルールが、和歌子には理解できない。ほどなく木魚を取り
に寺の本堂に行った二人が、戻って来た。
「ゴミ捨て場囲ってるネット、持って来よ」「ライン引きまーす」
そうして、墓所の前の砂利が敷かれた広場にコートが作られ、ネットの端を持っ
た二人がそれぞれセンターラインの両端に立ち、一人が審判になって、サダコたち
のバレーボールが始まった。
サダコらの手がレシーヴしても音が鳴らないのに、地面に転がるたび木魚から、
小気味のいい音が鳴る。サダコらの動きは異常に速く、一メートルを超えそうなジ
ャンプ力で高く跳ぶ。それでも木魚を強打することはなく、トスやボレーやフェイ
ントで、ラリーが続く。猛スピードで墓に突進し、ぶつかるかと思えば素速く体を
ひねり、コート上の中空に木魚を戻す。
「シライ!」「カネサカ!」「エガミ!」「ナカダ!」「オーバヤシ!」「オーヤ
マ!」「クリハラ!」「ヨシハラ!」「アユハラ!」
思い思いに掛け声を上げる。
「あれ?」
サダコの一人が、何かに気づいたように声を上げた。
「あれ、テントじゃないすか?」
しまった! 見つかった……和歌子は可奈をひしと抱き締め、体をまるめて後じ
さりする。
「ママ」
いまにも泣き出しそうな声で可奈が言い、鼻水をすする。
「大丈夫よ。声を出しちゃダメ」
可奈の耳元で和歌子が囁く。
「なんでこんなとこにテントあんの?」「いや〜怖い〜」「生きてる人がいたらど
うしよ?」「いや〜やだ〜」「ホームレス?」「マジっすか?」「どうするどうす
る?」
騒然としたかと思えば一転、急に静まり返る。可奈を抱き締めたままテントの隅
にうずくまった和歌子は、耳を澄ます。来る……きっと来る……。
来た。テントの入り口が揺れる。
「ギャーッ!」
たまらず和歌子は悲鳴を上げた。
「ギャーッ!」
テントの外でも一斉に悲鳴が上がった。
和歌子は失神した。
「おやまぁ」
朝の読経の前に墓地を見回ろうと思い立ち、作務衣姿で墓所に降りて来た住職は、
奇妙な光景に感嘆の声を上げた。
墓所の手前に、ゴミ捨て場を囲っていた網と、木魚が放置されている。ゴミが散
らかっている。ライン状に砂利が掘られ、そこから黒い土が覗く。
霜が降りている。夜明け前まで墓所の一角にあったテントはない。
墓石が一つ残らず倒れていた。
(了)
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Text written by 火鳥冬星
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