ナイトクローラー 「プレゼント」
◆02年12月13日◆冷めた恋の修羅場で男は…

 Ciao, a tutti! Sono Katori. Come state?
 いきなりイタリア語で書き出すと、また「嫌味か?」なんて言われそうですが、今回はまずfurboという言葉を紹介します。
 furboは「抜け目ない、ずる賢い、狡猾な」といった意味で、フランスでは人を侮辱する言葉だけれど、イタリアでは褒め言葉だそうです。
 イタリア人はamore(愛)を尊ぶ一方、「Fidare e bene, non fidare e meglio(信ずるは良きこと、信ぜざるはなお良きこと)」という有名な諺もあります。
 イタリアには、ローマ帝国崩壊後、周辺国家に侵略され続けた歴史があり、生き残るための知恵として、furboであることを余儀なくされたのだと思われます。
 furboという言葉をここで紹介した理由は
「プレゼント」を読むとわかります。

 ボクが
ナイトクローラー氏の作品を読むのは「第3回うおのめ文学賞」短編部門エントリー作品の「きっと、私、見られてる」に続いて2作目ですが、この2作品に共通しているのは、男と女の関係における一局面が描かれ、一転して男の異常性・変質性が露わになる、という構成です。
 ストーリーを紹介してしまうと面白くないので、読後感を書くと、一読した直後は「なんてヤツだ!」と憤り、しだいに「よくもまあこれだけ考えるもんだ」と、半ば呆れ、半ば感心する、というものです。
 犯罪小説の知的遊戯性とサイコ・サスペンスの魅力がミックスされた、エンターテインメントの正統的なショート・ストーリーと言えます。

 クリスマスが近づくとボクは、
O・ヘンリー(で良かったかな? ああ……記憶喪失)の「賢者の贈り物」を思い出します。恋人同士だか夫婦だか忘れましたが、貧しい男女の話で、男は時計を売って女のクシを買い、女は髪の毛を売って男の時計に付ける金鎖を買う、という美談です。
 
ナイトクローラー氏の「プレゼント」は、「賢者の贈り物」とは対照的に、男と女のラヴゲームにおける人の愚かさと醜さを意識させます。
 しかし
「賢者の贈り物」に滑稽さがあるように、「プレゼント」にも「狐と狸の化かし合い」のような滑稽さがあります。

 男女の恋愛においては、男も女も正気を失い、醜い修羅場になることがあり、
「プレゼント」では女は異常に愚かで、男は異常にずる賢いです。異常ではあるけれど、女もそれなりにしたたかで、痴情のもつれが致命的な刃傷沙汰にならない分だけ、わずかな救いがあります。
 ただ、致命的な惨劇にならないから、男が同じ事を繰り返す、という読み方も出来て、黒として罰を受けることのない灰色の狂気が、現代は蔓延しているのだと認識させられます。
 なんだか「清貧の思想」に帰依したくなりますが、もちろん貧乏だろうが裕福だろうが、誰の心にも美しさと醜さがあると信じたい。

 世界中の恋人たちが、ホワイト・クリスマスを迎えられることを祈ります。そして、除夜の鐘が、人々の心の不浄さを浄化してくれることを祈ります。
 Buon Natale e Felice Anno Nuovo a tutti!
 良いクリスマスと素晴らしい新年をお迎え下さい。★★★