| れお 「不幸な男」 |
| ◆02年12月13日◆倒錯と傷の果てに見た快楽とは? |
1990年代前半に椹木野衣(さわらぎ・のえ)という人が「抽象化されない傷が今のアートの主流になっている」というようなことを言いましたが、21世紀を迎えてもWEB小説には、救いや癒しを求めるような作品が多く、厳しいことを言いにくい雰囲気があります。 ボクも傷つくことには慣れたもので、どんなことを言われると自分は傷つくか、と、把握するようになりました。こうして自分自身の心理的メカニズムを理解するのが、抽象化というヤツだろうと思います。 傷は自分だけの大切な宝物なので、他人に分け与えたり、他人と共有したりしてはいけません。 景気の回復は鈍いし、連日のように陰惨な事件が報道されますが、せめて小説には「世相は呑んでも呑まれるな」の心意気を見せてもらいたいものです。 ボクは一時期、リストカット(自傷行為)や自殺未遂についての手記や体験談に目を通し、いろいろ考えたんですが、乱暴に結論を言うと、血を流さなくても、汗や涙を流すことで、体内の老廃物が排出されます。汗を流して働く労働には、快感、つまり気持ちよさがあり、涙を流すことには精神の浄化作用があります。 三島由紀夫がボクシングジムに通ったり、村上龍がテニスを始めたり、村上春樹がジョギングを始めたり、鈴木光司がスポーツジムに通ったり、と、小説家がいい歳こいて運動を始める例はよくありますが、実際に運動をやってみると、ああ、なるほどね、と納得できます。 ああ、そろそろ雪掻きの季節が来る。 「不幸な男」は、人目を避けるように暮らして来た人物が、既婚男性と恋仲になり、痴情のもつれから相手の男性を死に至らしめ、後追い自殺を図ったところ、相手の妻に発見され、裁判の法廷に立たされるという話です。 この主人公(一人称の語り手)は、法廷で好奇の視線に晒されます。 なぜ人目を避けるように暮らし、好奇の視線に晒されるかは、作品を読めばわかります。 この作品はどうしても腑に落ちないし、説得力を欠いています。それは、主人公が抱えている秘密が、現在の常識では隠す必要がないと思われるからです。 あえて言うなら、ここまで倒錯した心理の持ち主も、現実にいるだろう、という教訓はあります。そして、こういう快楽もあるんだなぁと、ボクは(学ぶのではなく)勉強させられました。 小説の書き方そのものは、それなりに巧いです。書き出しにインパクトを感じる読者が少なくないだろうし、文章はリーダブル(読み易い)です。 ルサンチマン(怨恨)に満ちた醜い話ですが、呆気ないほど展開が早く、単純すぎる印象を受けます。背景をすっ飛ばしちゃってるので、不条理物の4コマ・マンガを思わせます。活字が苦手な読者にやさしく、活字中毒には物足りない作品ではないかと思います。 ボクは好みませんが、サイコ・ホラーが好きな方は、ご一読ください。★ |