周(Amane.K) 「ヒトデナシノ恋」
◆02年12月13日◆これも、きっと、たぶん、恋

 今回のクロスレヴュー10作品の中で、「エロスの美」を最も感じさせる作品は、おそらくこの
「ヒトデナシノ恋」だろうと思います。
 文芸作品を「言葉で作られた芸術品」と定義できるなら、文芸作品は美を感じさせる物であり、人間の官能に訴える物です。性表現について、作者の体験を穿鑿したり、モラルの視点で問題視したりするのは、野暮な俗物根性であり、問われるべきは体験やモラルではなく、技巧であろうと思います。
 官能的な作品は「エロ」の一言で片付けられる風潮もありますが、普遍性があるし奥が深いので、風潮など無視して構いません。

「ヒトデナシノ恋」は、「人魚」の稚魚を通信販売で購入し、その成長ぶりを観察し、ついには性交さえ試みる青年の話です。
 青年は人魚と温水プールでメイクラヴを交わし、興奮、昂揚、煩悶、陶酔のひと時を過ごしたあと、悪夢のようなおぞましい光景を目にします。

 恋愛の対象は、何も人間の異性でなくてもいいわけで、
「ヒトデナシノ恋」には男性的な恋愛の本質が描かれていると思われます。決定的に重要なのは、人魚の魅力が読者に伝わるかどうかでしょう。
 言うまでもなくエロスの作品は、対象が生き生きと描かれているかどうかが重要であり、架空の生物ならなおさら、想像力を駆使して描かれないと、単に話を作る上で都合のいい、操り人形になりがちです。
 プールで人魚を泳がせた青年が、泳げないのにいたたまれずプールに飛び込み、水中でもがきます。ここにボクは、小説と作者の関係を見る思いがします。そして最後に、青年が無数の視線に畏怖する場面に、作者と読者の関係を見る思いがします。

 女性の裸体は美しく、だからこそヌードの画像や動画が氾濫し、とかく感覚が麻痺しがちです。美しい物は美しい言葉で語られることが望ましいけれど、その美しい言葉を見つけるのが何より難しい。逆に言うと、官能小説を書く意志が、作者の語彙を増やすこともあります。
 海のように広くて深い小説の世界で、いまは溺れる青年も、いつかは泳げるようになります。水に慣れるため、架空の生物を浮き輪にしても構いません。
 頭に理屈を仕込んでも、泳げるようになりません。泳ぎ方はトレーニングを重ねることで、身体に覚えさせるものです。くれぐれも、潮に流されないよう気をつけて。★