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新月 「祈り」
◆02年12月05日◆「考える葦」の命が生き延びるために

「祈り」はジュヴナイル小説と呼んでいいと思いますが、大学生や社会人も、読めば何かを考えさせられるだろうと思います。文章が丁寧で、細部に神経が行き届いているところに、女性の作者らしい繊細さが感じられます。

 舞台は、いつかの時代の宇宙のどこか。未踏査宙域専門の宇宙船に乗ったディーノとルシアが、遭難船を発見します。この遭難船に旧型のロボット、カレルがいて、この、人間に忠実であるよう設計されたロボットが、この船にいた人間が全滅したあと四百年間、孤独に過ごして来たことがわかります。と思ったら、実は12歳ぐらいの人間の少女がいて……とストーリーが展開し、「人間とは?」「生命とは?」と考えさせられます。時間的にも空間的にも大きなスケールで、大きなテーマに取り組んだ作品です。

「スター・ウォーズ」「ターミネーター」のような活劇ではなく、映画「ブレードランナー」の原作になったフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のように、哲学的なSFです。(ちなみにスティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演のSF映画「マイノリティ・レポート」が近々公開されますが、この映画の原作もフィリップ・K・ディック

「祈り」からボクは、ロボットと人間の関係を、新しい世代と古い世代の関係として読みました。差別用語なのであまり使いたくないですが、いわゆる「新人類」と呼ばれる世代(39歳のボクもその一人)と、それ以前の世代の関係を、ここに見ることが出来ます。人間はロボットを恐れている、ロボットには人間に対する保護意識がプログラムされている、そのプログラムが有効か否かは問題ではない、という認識が示されています。73歳の老母と二人で暮らすボクは、ここに少子高齢化社会のあり方を読みました。
 この作品で、人間がロボットを恐れるようになったのは、ロボットの個体人格を人間に認めさせるための長い闘争によって、と書かれています。これは植民地政策―被植民地の闘争として読み取ることも可能であり、また、前近代から近代への移行(近代化)における過程の闘争とも読めます。近代化というのは、端的に言うなら、共同体が崩壊して価値観の多様化と個別化が普及することです。
 ここ10年ほどで、女子高校生の援助交際、少年犯罪、引きこもりなど、大人たちには理解できない問題が浮上してきました。大人は子どもを恐れている、とも言われます。恐れるということは、わからないということです。

「祈り」は、そういった現在の諸問題を、はるか彼方の遠点から見た話と考えられます。
 科学・技術がどれほど進歩しても解けない謎、「自分の存在理由」という、古くて新しいテーマも読み取れます。そして、差別に対する抗議があります。

 四百年前に孤立したロボット、カレルの最期には、老人の孤独な死や尊厳死の問題も意識させますが、ボクはここに、切腹によって罪をあがないながら身の潔白を示す武士の精神を見る気がします。約四百年前にこの国は、鎖国体制に入りました。
 そういう見方をすると
「祈り」は、遠点から現在を見た話であるとともに、現在から過去を見た話として読むことも出来ます。
 ボクはこの作品に、
三島由紀夫的なアイロニーを感じます。アイロニーは作者の知性を裏付けるものです。「浦島太郎」伝説が快楽主義の悲劇なら、この作品はそれを反転した禁欲主義の悲劇にも見えます。しかしもちろん、人間の命令に従う機械やロボットには、快楽も禁欲もないです。

 この作品は、いろいろな読み方が出来て、何度も繰り返し読むと、読む度に何かが見えるのではないかと思います。万華鏡のような作品です。
 広漠とした時空間で、宇宙船は静かで寂しく、そこにいる人は優しい。★★★