折笠由利子 「人形と私」
◆02年11月21日◆男の社会で女性はただの「人形」か?

 今回クロスレヴューに取り上げられた10作品を全て読んでみるとわかりますが、「男性的な作品」ばかりです。作者が女性でも、男性の視点で書かれた作品ばかりです。
 図らずもこうなった、ということだと思いますが、何やら
「鞠棚小説祭」が「男子校の文化祭」に思われてきます。

 ボクの印象では、この
「人形と私」は、折笠由利子氏の作品の中では、異色です。折笠ワールドの一端を垣間見せているとは言えますが、折笠氏の本領が発揮された作品とは言い難い。
「作者の世界はどうでもいいから、作品について語るべきだ」という主張もありますが、
折笠氏の作品は、そういった基準で論じられると、ボクには思えない。
 たとえば
平井堅「大きな古時計」を歌っていますが、あの歌は平井堅の作品ではありません。リスナーは「大きな古時計」という作品ではなく、平井堅というアーティストに反応します。ここにエンターテイナーとアーティストの違いがあります。大雑把な言い方をすると、エンターテインメント作品は市場のニーズに応え、アート作品は市場にシーズ(種)を発生させる、と言えます。だからエンターテインメントとアートでは、論評する際の物差しが異なります。
「小説は(読者にとって)面白ければいい」という基準の評価では、エンターテインメントが有利でアートが不利になります。
 
折笠氏を知らない読者にとって「人形と私」は、狂気を抱えた男性の独白に過ぎません。しかし、この作品の意義は、折笠由利子氏という女性の作者(女性の描き方で比類のないWEB作者)が、男性の視点で書いたことです。

 文学作品には、絵画性・映像性・演劇性・音楽性など、ほかの表現ジャンルに固有の性質が含まれていますが、こういった見方でも
「人形と私」は、折笠氏の作品群において異色です。過去の作品には、絵画の鑑賞で培ったと思われる描写力が発揮されていますが、この作品は音声を意識させます。
 NHK教育TVでかなり前に
「詩のボクシング」という、詩の朗読で対戦するイヴェントが放送されましたが、「人形と私」も目で読んでストーリーを理解するより、朗読すると面白い。
 アングラの一人芝居を想起させるような、暗く重い雰囲気を漂わせていますが、「不穏な空気に包まれながら何事も起こらなかった」という読後感。猟奇的犯罪者の告白に終始した印象です。書き出しに引き付けられた読者は、途中で飽きるかも知れません。惜しい感じがします。

 男性の視点で小説を書く女性作者は珍しくないですが、女性の視点で小説を書く男性作者は、官能小説以外であまり見当たりません。小説の世界はいまだに男性中心社会なのでしょうか?

 ボクはこの
「人形と私」を、折笠由利子氏のエポックと見て、作品そのものの価値を問うより、折笠氏がこれからどこに向かうかに興味があります。
 
折笠氏の作品は「男子校の文化祭」に一つだけ展示されるより、個展形式で展示され、観賞されるほうが相応しい。作品についてとやかく言うより、折笠氏のHPを堪能しましょう。★★★